菊池 晩香 きくち ばんこう
   

従軍志氣見忠純
殖産興農業日新
別有芝蘭滿階砌
一家和樂幾千春
従軍(=軍人として戦争に行く)志気(=個人の意気ごみ) 忠純(=真心があって、心が純粋ですなお)を見る
農に興じて殖産(=財産をふや)し  業は日新たり
別有り芝蘭 階砌 (=庭)に満つる
一家の和楽(=皆でなごやかに楽しむ) 幾千の春
41p×149p

安政6年12月1日(新暦 1859年12月24日)生〜大正12年(1923)10月9日歿
 名は武貞、三九郎は通称。はじめは玉渓と号し、のち晩香と称した。江戸後期の儒者にして漢詩人である菊池海荘の養子菊崖の第二子として和歌山県有田郡栖原村(現湯浅町栖原)に生れた。のち垣内本家に入り、その12代目を継承した。
 明治25年(1892)東京専門学校(現 早稲田大学)英語政治学科を卒業したが、家学を承けて漢学に造詣が深く、詩文に秀れていたので、大隈重信や高田早苗の知遇を受け、早大教授となり、漢学及び文章学を講じた。当時早稲田大学には、牧野藻洲、松平天行、桂湖村ら碩学が集っており、彼らとともに早稲田大学出版部が企画した『漢籍国字解全書』(『管子』・『淮南子』)の注釈を分担した。人物高潔で脱俗離欲の人と評された。
 関東大震災後、病気療養中であったが東京の自宅で没した。
 記事の文を得意とし、同時代のことを好んで題材とした。それらの作品は『談欛』に収められている。著書は『黄花片影』ほか多数ある。
 「晩香教史」の下に、白文の「菊池武貞」、朱文の「晩香詩画」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kikuchi_sa.html
http://kambun.jp/writers/kikuchi-banko.htm
http://www.ic.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-1271.html


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